転載: 明星和楽と私

転載: 明星和楽と私

無事、2014年1月18日に、台湾での開催を終えた明星和楽

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参加者数は、数えることの出来ない状況だったので、カウントされていませんが、少なくとも各会場併せて5,000人以上の人が集まったかと思われます。

詳細は、後日、掲載することとして、この記事では、明星和楽を非常に近くから応援してくれている良き理解者、過去2回に渡り開催された福岡の明星和楽の開催地「gate’s」の再建プロジェクトを担当されていた方の記事を、自身のFacebookへの投稿から(少し弄って)転載します。


福岡で仕事をした事で、俺には奇妙な友人達が出来た。

彼らが主催するちょっと変わったプロジェクトには、明星和楽という名前が付いている。

今週末の台北における明星和楽開催をお祝いしながら、思い出話を書いてみようかと思う。

その時俺達は、潰れかけた中洲の商業施設を蘇らせるべく、皆が集まるイベントをやろうと、なかば捨て身で4回ほど自主企画を実施し、まずまずの結果を出していた。

しかし、俺は「施設側が祭りを仕込んでいるだけでは完結しない。地元から何かやりたいという気運が盛り上がり、そのための場所にならないと、自力で呼吸してないのと同じだ」と思っていた。

我々のイベントが起爆剤となり、色々な企画が持ち込まれていたが、施設側はイメージ、ブランドも大事なので、受付を大分絞り込んでいた。

ある日、施設側が有志の催しに場所貸します、という話を持ってきた。

それが明星和楽だった。

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資料には「テクノロジーとクリエイティブの祭典」とあったが、俺にはいくら読んでも何がなんだかわからなかった。

それでも「まあいいではないか」と思った。

様々な反対や、仕事と称して遊んでるんじゃないかという後ろめたさと折り合いをつけながらゲイツの名を福岡に浸透させてきたのだ。

文化とか教養の香りが感じられるし、地元からやって来た企画という事が素直に嬉しかった。

「これで会社にも堂々と顔向けできるってもんよ」とも思った。

 

予定日が近づいたが、現場からの連絡は何とも冴えないものであった。

「本当にやるのかまだわかりません。」

HPにでかでか出ているじゃないか、と確認すると、返事が来た。

「主催者はやりたいようです。」

1週間前になってようやく、まあ大丈夫でしょうと言われ、開催初日、2011年11月11日の金曜日がやってきた。

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「中洲川端の玉屋さんにお願いします。」

俺は空港から急いでタクシーに乗り込んだ。

当時、目先の仕事はやり甲斐もあり、日々充実して過ごしていた。

しかし、先のことを考えると明るい材料は見当たらなかった。

欧州債務危機はイタリアを巻き込み、マーケットはどつぼ状態。

10月にウォールストリートでデモが起こると、業界の宴の終焉をしみじみと実感した。

今までの延長線ではどうにもならない事はわかったものの、新しいきっかけを見出すことができなかった。

それが2011年の秋だった。

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「明星和楽♡」妖艶な女性の声で明星和楽の舞台は幕をあげた。

「実はこれ、僕の声なんです。」司会者が聴衆に語りかける。

何かの技術で音声を変換できる、という説明が続いた。

会場からは笑い声もなければ、驚嘆する気配もなかった。

眼鏡をかけ、パイプ椅子に座った観客は、黙ってノートPCのキーを鳴らしていた。

しかもほぼ全員アップル。

「これがITの人達なんだ・・・」俺には見慣れない光景だった。

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パネルディスカッションやクラブパーティーが続く。

俺は人影もまばらなダンスフロアを腕を組んで眺めた。

翌日も不協和に溢れる光景が続いた。

舞台上でライブパフォーマンスが繰り広げられているその正面で、若い画家達がテーマも不統一な思い思いの絵を描いていた。

しかし、居心地は悪くない。

会場を歩く。

すると、先ほどまで壇上にいた講演者が手持ち無沙汰にしていて、声をかけると驚くほど気軽に会話に応じてくれた。

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正直に告白すると、興業としての完成度が高かったとは思わない。

だが、奇妙なオリジナリティーがあった。

こんなイベントは東京にはないし、プロにはできないだろうと思った。

スポンサーブースが並ぶ一角では、何故だかおじさんが来客と将棋を指していた。

 

「これかもしれない。」何かが俺の頭の中で閃いた。

「21世紀だ!」

俺は映画ブルース・ブラザース(1980年ジョン・ランディス監督)で、ジェームス・ブラウン演ずる牧師の説教を聴く、黒服の男と同じ心境に達したのだった。

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「きゃりーぱみゅぱみゅ来るかなあ。」

2012年の夏の夕方、明星和楽実行委員の二人と俺は、品川のビール醸造所で水面を眺めながら、エールだピルスナーだと洒落込んでいた。

「来るとインパクトありますねえ。」

彼女のパフォーマンスはその年の紅白まで見る事はなかったが、俺はわかった風に相づちを打った。

「来ると凄いんだよなあ。」

染め上げた金髪を夕方の風になびかせた彼は、ショーウィンドウに張り付く、サキソフォンが欲しい黒人の少年のような表情をしていた。

 

明星和楽は、収益を目的とする興行ではない。

本業を持った人達が自発的に集まって、自腹を切って完成させる企画だ。

その年の春、再び明星和楽が開催される事を知った俺は考えた。

あのイベントはもっと凄いものになるんじゃなかろうか・・・。

その時の俺にリソースと呼べるものは、ゲイツの販促費予算とイベントチーム、それから俺自身の多少の交友関係があった。

なにがしかの貢献は出来るだろう。

俺は積極的に明星和楽と関わる事にしてみた。

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実行委員会の中心メンバーとの付合いが始まったが、彼らは住む世界が全く違う人間だった。

最初の打ち合わせのため、飛行機に乗って福岡のオフィスを訪ねると、当の本人は不在で、スカイプが接続されて「今東京からです。」と言われた。

広い空間のある場所に連れて行けば、「この高さがあればジャンピング土下座ができる!」「こうですか!」とメンバー内で議論が始まる。

「富田さん、交友関係広いですね。」

仕事仲間の口調は皮肉や嫌味というよりも、むしろ困惑だった。

しかし俺はゲイツの仕事を始めてから、色々な人に免疫が出来、物事に諦観を持って接することが出来るようになっていたので、これは苦にはならなかった。

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彼らとの会話の中には「ただ者ではない」と感じさせるフレーズが多々ある。

今でも覚えているのは、「朝野菜仕入れて、人参一本売るとたかだか何十円かの売り上げ。夜売れ残った野菜をジュースにしてお酒を混ぜて売ると900円。」「巷のインキュベーション施設は居心地良過ぎ。マンションに事務所構えて、社長自らトイレ掃除までしなくちゃとか考えると、会社を大きくして施設を出る気持ちが無くなって良くない。」「回転率が低くて客単価が安い飲食店、のようなビジネスはしてはいけない。」などなど。

実行委員会のメンバーは皆、仕事と責任とさらに社員まで抱えたりする、福岡のITネットワークの中心人物なのだ。

そして酒が好きで、飲んで芸術から組織・経営論まで、彼らの言葉で議論する事を好んでいた。

数字をいじくり、言葉を操ることを生業にしていた俺にとっては、彼らが明星和楽の演出を構想するのを聞く事で、色彩や動作、造形が伝える面白さを思い出していく事が楽しかった。

そうして、2012年の明星和楽の作業は進んで行った。

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2012年の明星和楽は2日間の開催となった。

9月8日、予定の飛行機に乗れなかった俺は空港を飛び出した。

午後の日射しは強烈だった。

その頃には「ゲイツ」と言えばタクシーは中洲に向かってくれるようになっている。

8Fのエレベーターの扉が開いた瞬間「やった!」と俺は思った。

俺は成功する企画が発する気配を、察知できるようになっていた。

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プログラムの内容が大きく変わった訳ではない。

前年と比べると、イベントがぐっと濃縮されているのがすぐわかった。

明星和楽は、プレゼンテーションや講演といった「和楽」という教養部門とパーティーを中心とする「明星」という娯楽部門から構成される。

「一体これは明星なのか和楽なのか・・・」メインステージ上の全身筋肉マンや企業ブースの中に佇む射的場を見て考えが巡った。

だが、溢れかえる来場者はどっちであろうと気にしていなかった。

ステージ上の幾人かは、俺でさえ名前を聞いたことがあるくらいエッジの効いた顔ぶれであったが、客は「友達が来てるし」とか「お祭りをやっていると聞いて」ぐらいのカジュアルな感覚で、会場を歩いていると出演者と来客の境界も極めて曖昧だった。

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同じ空間にプレゼンをする人もいれば、音楽を演奏する人もいる。

壇上には政治家、実業家、起業家、芸術家が次々と現れ、ご当地アイドルグループとパジャマを着た女子大生が会場を交錯する。

ネイルのワークショップを眺めていると、耳からは若い経営者が自身のアイデアへの情熱を訴えるのが聞こえる。

ごった返す会場の片隅に、なじみの実行委員の顔をみつけた俺は、手を振った。

「まったく・・・」彼は笑顔で言う。

「混沌が足りませんね。」

目の前をコスプレイヤーの一団が練り歩いて行く。

俺は、この人ついに禁止系の物がキマッちゃってラリってんのか?と思ったが、彼の表情は穏やかで、目に狂気の影は微塵も無かった。

そして、会場の雰囲気は先鋭的というよりも、正体不明の幸福な熱気を伴っていた。

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「目指しているのは、祭りじゃなくてムーブメントなんです。」彼らは言う。

彼らが意図するのは町起こしという物ではない。

明星和楽には実行委員だけでなく、社会人も学生も男も女も、多分100人を超えるメンバーが企画運営から受付、会場整理まで全てのパートに参加していた。

このフォーマットは他の場所でも使える筈だと考えているようだった。

あの夏の2日間、ゲイツに充満したエネルギーは俺の力量では文字で伝えきれない。

「だから福岡は凄い!」という文脈で説明しようと思ったが、そう書く気はなくなってしまった。

そうではないような気がする。

この長い思い出日記は未完のまま、彼らから教えてもらった印象的な言葉で締めくくる。

明日は早起きして台湾に行くんだ。

 

「クリエイティブはすっきりしちゃいけないんですよ!あれ一体何だったんだろ?っていうモヤモヤしたものが、創造の原動力になるんです!」

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